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女性アーティスト物語 Vol 2 ニキ・ド・サンファル (前編)

女性アーティスト物語 Vol 2 ニキ・ド・サンファル (前編)

 

フランスの古い貴族の血を引く父親と、アメリカ系の実業家の娘であった母親の典型的な上流家庭で1930年パリ郊外に産まれたニキ・ド・サンファル。

 

一家が事業のために移り住んだニューヨークにおいて、世界恐慌の影響を受け、事業は行き詰まり、幼少時は一時期フランスの祖父母のところに預けられ、両親が生活を立て直すまで離れて育ったりした。

 

成長して演劇の勉強を始めた彼女は、17歳の時にモデルエージェンシーの目に留まり、モデルとしての活動を始め、ヴォーグの表紙にも度々登場した。18歳の時には幼馴染みのハリー・マシューズと駆け落ちしている。ふたりとも同じようにニューヨークの上流階級の出身で、同じように出身階級に反逆を試みる若者だった。

 

1952年に一緒にフランスに戻り、ニキはモデルの活動を続けるが、彼女は鬱や統合失調症に苦しんでいた。ニースの病院に入院したニキはアートセラピーと出会い、自己の解放と共にアートの世界に入っていった。正規の美術教育は受けていなかったものの、アーティスト・ヒュー・ヴァイスに導かれ、制作活動を続けていった。

《ナナ》の前に立つニキ(アムステルダム市立美術館で行われた個展、1967年8月23日)Jack de Nijs for Anefo

1960年代はニキにとって、いろいろな意味で分岐点となった。

様々なアーティストと交流する交流する中、彼女が人生の後半を共にすることになるスイスの彫刻家ジャン・ティンゲリーとの出会いがあり、夫のハリーとは合意のもとに別居し、二人の子供たちは夫のもとで育つことになった。

 

 

また彼女の代表的な制作活動のひとつであるル・ティール Le Tir(射撃作品)もこの頃生まれた。最初は立体的な要素を組み合わせたアセンブラージュというジャンルの作品に、作品の鑑賞者がダーツなどを打ち込んでいくものだったが、作品は徐々に攻撃性を増していった。絵の具を入れた袋を石膏に付けたものをライフルなどで撃ち、そのしぶきを見せる、衝撃性そしてパフォーマンス性の強いアートとして発展していった。、

 

アセンブラージュはしばしばネクタイを付けていたし、ル・ティールの作品ではニキ・ド・サンファルが「バイバイ、パパ!」と叫んで撃つ画像も残っている。ル・ティールにおいても、映像作品においても、彼女は繰り返し「父」に「仮想殺人」を試みている。

 

このような男性あるいは父性憎悪はどうして生まれたのだろう。そして彼女の豊満な女性像のシリーズ、ナナはどのようにして生まれたのだろうか。

 

次回はニキ・ド・サンファルが苦しんだ秘密について見ていきたい。

 

 

大倉アーツの夏のコレクション始まりました。

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